アメリカ・テキサス州の旅
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サンアントニオ

アメリカテキサス州にあるテキサスの人々の心故郷と言われる都市です。
大西洋側東海岸から太平洋側西海岸サンタモニカを結ぶ米国国道10号線の中間にあり、北はミネソタ州DULUTH、南はメキシコ国境の街LAREDOに通じる国道35号線、そしてメキシコ湾沿いのCORPUS CHRISTIに通じる37号線が交差する交通の主要都市でもあります。
近郊はテキサスの熱さを忘れさせる、緑豊かな市街地を形成している。
街中にはサンアントニオ川から運河のように水を引き込み、中心部にリバーサイドタウンがある。
アメリカにいてアメリカ的でない、どちらかと言えばヨーロッパ風の雰囲気のある街です。そのためにヨーロッパからの移住者に人気がある。
タワーオブアメリカやシーワールド・ミションエスパーダなどが近くにありますが、今回はアラモ砦とリバーサイドについて紹介します。

サンアントニオ市街地図

アラモ砦

アラモ砦はサンアントニオの街の中心部に位置しており、入り口のゲートをくぐりさらに進むと聖堂の中へ入る。右手に案内所があり世界中の言葉のパンフレットがおいてあります。
テキサスの独立と合衆国への併合のために189人の市民と義勇兵がアラモ教会を砦として立てこもり、命を賭けて戦った悲劇の舞台。
1821年、メキシコがスペインから独立。その当時、テキサスではアメリカからの移住者がメキシコの独裁政治に対して、自治権を求めた。
その為、サンタ・アンナ将軍はサンアントニオへ派兵してこの不穏な動きを排除しようとした。しかしテキサス義勇軍はメキシコ軍を破り、サンタ・アンナ将軍を怒らせる結果になり「一人として残すな」との命令で4000数名のメキシコ軍がアラモ砦に攻め入りテキサス義勇軍を全滅させた。
アラモ砦陥落46日後、ヒューストンひきいるテキサス軍にメキシコ軍は壊滅させられ、テキサスは独立の日々を経て、1845年合衆国に併合された。
内部の撮影は禁じられているので、外部の様子を撮りました。砲弾の痕などが外壁の要所に見られ、当時の激戦を物語っていました。
別棟にあるアラモ博物館に展示してある、戦いの様子の模型に感激しました。
ジョン・ウェ
イン主演の映画、『アラモ』のシーンを再現しているようです。
併設されたお土産屋は割高な感じがしますが、これらの施設は無料開放されており、国からの援助などを受けずに奉仕と寄付・お土産などの収入で賄うわれているのですから仕方のない事です。

アラモ教会正面

アラモの外壁 当時の戦いの様子が描かれた絵  
 
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リバーサイドウオーク

サンアントニオ川から曲がりくねった運河を引き込み、川の散歩道を併設した街作りをしている。
一年中雨に見舞われることの少ないない気候のため、あえてこのような形の街にしたようだ。
観光客はこの街をボートに乗って、ぐるっと一回りすることができる。約40分ぐらいで5バックスです。アムスデルダムの運河に似たイメージも多く、ネーザーランド系の移民やドイツ系の人々に人気があります。
川端のまわりには、ホテルやレストラン・ショッピングモール・お土産屋・アミューズメント施設が整い、リゾート気分を味わえます。
川をまたぐ様にコンベンションホールがあり、街全体が観光客誘致に力を入れている。

 

  ショッピングモール コンベンションホール
 
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サンアントニオ周辺 etc

サンアントニオから10号線を西へ100キロ程走るとY・O・RANCHリゾートがあります。
カウボーイアメリカ博物館がすぐそばにあり、テキサスの雰囲気をさらに満喫する事ができます。
時間がとれれば、地元の人々がヒル・カントリーとよんでいる、大自然に囲まれたこの様な所で再度アメリカをもっと味わいたいと思います。

。。。。。。。。。。

あちらこちらを旅して、いつのまにかマグネットコレクターになってしまいました。
その土地土地のイメージをうまく表現しているなーと何時も感心します。

カウボーイアメリカ博物館

Y・O・RANCHリゾート  
サンアントニオで集めたマグネット

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