『ギャング オブ ニューヨーク』を観て
 
世界の大都市を象徴するニューヨーク。19世紀半には近代都市とはほど遠かった。
1607年に定住を意図したイギリス・とアイルランドとヨーロッパの国々の人達が始めて大陸に上陸した。
彼等はヨーロッパから持ってきた文化を新しい世界に植え付けたいと願ったが、チャンスに満ちた豊富な環境にたいして順応と克服がもとめられた。
飢餓・内輪もめ・原住民との戦いの恐怖にさらされながらの開拓が始まった。
現在そびえたつ摩天楼のニューヨークしか知らない自分にとって驚きと興奮の光景であった
ヨーロッパから押し寄せるものすごい数の移民達が社会の底辺にうごめく、将来の見通しの立たない街だった。その中において生きる人々の人間模様を通してアメリカ社会、ゆりかごの様に揺れる時代の姿を壮大なスケールにて描いた作品であった。
『1846年、大飢饉によって増えつづけるアイルランド移民は、バロン神父の下で組織を作り生活を守ってきた。
ある日、ビルに率いられたアメリカ生まれの住民組織と利害を巡って衝突、神父は殺され幼い息子のアムステルダムは少年院送りとなった。
16年後の南北戦争の最中に戻ってきたアムステルダムは、ギャングにのしあがったビルの仲間に入り、父親の復習のチャンスを伺う。
恋に落ちた女性との嫉妬から、幼馴染に密告されてギャングの親分ビルに知れてしまい、過酷なリンチにあう。
新しい国が作られていく、悪人も善人もいない時代の混乱した状況 』を壮大な画面に映し出している。
ニューヨークの最南端にあるリバテイーパークから、自由の女神像へ渡るフェリーがでています。
女神は自由国アメリカの象徴、クラウンには7つの海・国に自由が広まるシンボルになっている。海面からトーチまで107m、足下から像の高さは46m。像の内部はステンレス鋼にて補強されている。
このリバテイーパークから セントラルパークの先、80丁目のメトロポリタン美物館まで、暇にまかせて、スナックをとりながら歩いて見たことがありました。ヨーロッパの裏町みたいな雰囲気があったり、人間の息づかいが伝わる高層のビルの谷あいの雑踏を眺め、この街の活気に満ちた空気を味わいながら、裏通りを見て歩いた時に、なんとなく避難階段に興味をひかれました。
時代を感じさせてくれるとともに、治安上考えた作りに感心します。
住宅街に入ると、ヨーロッパの建物そのものを感じさせてくれます。高さ制限の関係で高層な建物が作れなく、半地下構造の建物を見かけることができます。やはり、階段の作りに色々なデザインや工夫がほどこしてあります。
レオナルド・ディカプリオ主演のタイタニック号の処女航海の目的地は、やはりニューヨークであった。自由の女神像のすぐ横の島、ELLIS島は入国者が一番先に上陸するところで、ここから移民の第一歩がはじまる。 
「タイタニック」の演技も良かったけれども、ギャング同士の肉弾戦の演技にも感動しました。
 

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